「ミハラヤスヒロ」20周年のショー直後に、三原氏に独占インタビュー!
20周年記念ショーを終えたばかり、ホッとした表情の三原康裕氏その人を直撃。
ブランドの創設は1998年、シューズデザイナーとして初の海外進出は2002年。「プーマ」とのコラボレーションを世界の舞台で披露し、3年後のミラノにて海外コレクション初参加を果たす。
三原康裕:「レザーのデストロイド加工やパッチワークに熱心だった頃ですね。なぜミラノで発表するのか、というビジョンもないままに突っ走っていた時期でした」
海外デビューから5シーズン後の2007年にはパリに舞台を移すと「ミハラヤスヒロ」らしいクリエイションを明確に打ち出し、高く評価される。
三原:「この技法やディテールは今も受け継いでいます。パリのモード協会は閉鎖的と思いきやファミリーのような懐の深さがありました」
以後10年にわたりパリコレの中堅ブランドとしての地位を確立したが、2016年は同時多発テロの影響もあり、発表の場はロンドンへ。
三原:「パンクになった、とも評されたシーズン。1950~60年代の米国カルチャーに憧れるドイツ労働者階級の若者を表現しました。“NO CLUB LONE WOLF”=一匹狼というテーマは当時の心境そのもの」
最後に、メンズノンノとの思い出も…。
三原:「1996年、まだ靴だけだった初めての展示会に当時の編集長が来てくれて20代の僕にも真剣に向き合ってくれました。この20年間はメンズノンノさんと歳を重ねてきた実感がありますね」
もちろん、三原氏にとって20周年は一つの通過点に過ぎない。
三原:「来春夏コレクションはパリに戻ろうと思っています。クリエイション、クラフトマンシップ、アート性が最も評価される場に、これからもチャレンジをし続けたい」
Photos by Takahiro Michinaka
Text by Takafumi Hojoh