エリック・クラプトン
『チェンジ・ザ・ワールド』
1996年にジョン・トラボルタの主演映画『フェノミナン』のサウンドトラックに収録されたこの曲は、エリック・クラプトンが歌ったバージョンがグラミー賞を総ナメしたのだが、もともとはアメリカの女性カントリーシンガーがリリースしたものだった。当時はアコースティックギター一本で奏でるアンプラグドが大流行、毎日聴いていた楽曲は“もし星に手が届くなら 君にひとつ取ってあげる”“もし世界を変えられるなら 君という世界の太陽になるよ”──ひたすら願望のアピールだ。これはあくまでも個人的な意見だが、「僕はたいした男じゃないから、君が輝くようにできるだけのことをするよ」的なサポートのダンディズムのほうがカッコいいと思う。あまり大きなことを言うのは正直、野暮じゃないですかね。
“もし僕が王様になれたなら それがたとえ一日だったとしても 君を王妃にするよ”“そして僕たちの愛は巡るんだ ふたりで築いた王国の中を おかしな人と笑われてもいい その日を待ちわびるよ”──まあね、ここまで惜しげなく愛の願望を披露されると、逆に気持ちいいかもしれない。青年が橙色に染まる夕陽を眺めながら「ああ、もしも世界が変えられたら」なんて溜め息をついてる姿は嫌いではないぞ。これは、輝くほどピュアな願望のラブソングなんだ。こういう経験がない僕は、1971年のアメリカ映画『おもいでの夏』を夢想した。ニューイングランド沖合いの小さな島を舞台に15歳の青年が歳上の女性に恋をする、ひと夏のピュアなラブストーリー。古い映画だね、でもね、波音だけをバックに演じられるラブシーンの映像がとても美しく、映画史上に残るワンシーンなんだよ。青年たちのリゾートウエアの着こなしも清潔感に溢れ、古きよきアメリカを感じさせる上品なスタイリングで、メンズノンノのトラディショナルにも成り得る映画だよ、よかったら観てね。
そうそう、もうひとつ。エリック・クラプトンくらいの年恰好のおじさんが願望で愛を語ると、ピュアさが倍増することに気づいたよ。何だか可愛らしいし、モテちゃうかも? おじさんになっても努力していて、カッコよくいればの話だけどね。