松田聖子『風立ちぬ』
僕は52年の人生で膨大な数の音楽を聴いてきた。一番多感だった青年時代は80年代で歌謡曲黄金期、エキサイティングで夢中になったね。当時のアイドル、思い出、言葉が心の中に蓄積し、糠床の様に熟成され、この歳になってやっと思考となり表面に現れはじめた。僕が感じた歌謡曲とその時代の話を紐解いてみよう。
ソニーと集英社が主催する「ミスセブンティーン」コンテストがきっかけで1980年4月に松田聖子がデビュー、一発目からトップを取り、僕も含め周りの男たちは虜になってたね。だってテレビで見る聖子ちゃんのインパクトは想定外で、芸能人運動会では100m走でいつもビリ、泣き顔で一生懸命に走ってるけど涙は出てないし、番組でコントをやると芸人よりおもしろいし、ガハガハ笑うし、それなのに歌うと凄くて、歌詞のイメージがパーっと色付きで想像できる、そんなアイドルは他にいないよ! 極端すぎるギャップは我が家でも大ウケ、家族と一緒になごめたよ。聖子ちゃんは次の曲も次の曲もトップで走り続けた、が、他の事務所が黙っちゃいなかったね。巨乳アイドルやセクシーアイドルをデビューさせて聖子ちゃんにぶつけてきた。お互いに刺激を受けながら他のアイドルも輝き始め、特に巨乳ちゃんが桃色に輝いちゃって、メロメロになる青年たちが増え始めた1981年10月、聖子ちゃんが攻めたんだ。
『風立ちぬ』──大瀧詠一の作曲と松本隆による少女の心を巧みに詠んだ詞が絶妙に絡み合う楽曲をリリース、これまでのアップテンポで爽やかなサウンドから、ジュークボックスから流れてきても自然に聴けるおしゃれでメロウな歌謡曲へ。歌詞は、恋にはしゃぎ元気一杯に海辺を翔ける少女から、高原で手紙をしたためる文学少女へと進化し、女子たちのハートも奪い始め、あっという間に聖子ちゃんカットが世の中に増えていった。その影響力は半端なく、同名で発売したアルバムも売れまくって“松田聖子”が社会現象になっていった。追ってくるアイドルやファン層を分析し改善したんだろうね。素晴らしいね。賢いね。
そうして女性支持を得た聖子ちゃんがまた攻めた! いきなりショートカットにして、イメージを変えちゃった。凄かったなぁ、私についてきなさい、って感じだったもんなぁ、潔い攻めでワンランク上をいくアイドル像を示したね。日本中の聖子ファンが美容室の予約に殺到した年になったし、戦略が伝説を作った瞬間をリアルに見られたね、まさに激動の年だった。常に先を行く松田聖子という逸材を、みんながキャーキャー言って楽しんだ80年代。歌謡曲黄金期は聖子ちゃんからスタートを切ったと勝手に思っている。